三菱財閥と言えば、三菱商事に始まり、三菱UFJフィナンシャルグループ、三菱重工業、三菱マテリアル、三菱地所、三菱電機などなど様々な分野で強い影響力を持っている日本三大財閥の1つです。(あとの2つは三井、住友)
その三菱財閥の創始者は岩崎弥太郎という人物です。
僕は三菱商事の株を所有しており、岩崎弥太郎にとても興味があったので、彼に関する本を読んでみました。
この本を読んで、岩崎弥太郎がとんでもない男だと知ってしまいましたので紹介します。
きっと、現代で働く人たちの胸にも響くと思います。
「岩崎弥太郎と三菱四代」(著:河合敦)
この本は、岩崎弥太郎と弟・弥之助を中心に三菱財閥がどのようにして発展したのかを題材にした史話になっています。
本の後半からは弥太郎ではなく、弥之助や弥太郎の息子たちの話になりますが、この記事では弥太郎のことだけを書いていきます。
その1.夢がデカい
岩崎弥太郎は、三菱商会という会社を立ち上げ海運業をスタートさせましたが、当時はライバル社が多数いました。
そのような状況でも弥太郎は以下のように語っていたとのことです。
ポイント
俺は国内の汽船会社に競り勝ち、さらに日本に君臨している外国汽船会社を追い払い、やがては自ら世界に進出してたくさんの海外航路を開き、どの港にも日の丸がはためくようにしてみせるのだ。
夢がデカいし、なんと言ってもかっこいいです。
経営者たる者、このぐらい大きな夢を持っていないと社員の士気は高められないですよね。
それから、自分自身が何か起業しようとしたときにも、何か大きな目標や夢がないと大成功を収めるのは難しいように思います。
その2.貴重なチャンスを逃さない
明治政府が台湾出兵を決めたとき、明治政府は三菱商会のライバル会社・日本国郵便蒸汽船会社に業務を命じましたが、同社は断りました。
断った理由は、「台湾への輸送を対応している間に、国内における海運契約を三菱商会に持っていかれる。逆に三菱商会が引き受けると、その間に国内シェアを奪える。」と判断したからです。
そこで、明治政府は次に三菱商会へ依頼します。
岩崎弥太郎は「光栄これより大なるはなし。」と快諾します。
ポイント
人間は一生のうち、必ず一度は千載一遇の好機に遭遇するものである。
しかし凡人はこれを捕えずして逸してしまう。
機会は雲中に現れる蛟龍のごときもので、たちまち隠れてしまう。
これを捕捉するには、透徹明敏の識見と、周密なる注意と、豪邁なる胆力が必要である。
弥太郎の判断は上記のような考えに基づいています。
参考
難しい言葉がいくつかあったので意味を記載しておきます。
- 蛟龍:こうりゅう/中国の龍の一種
- 透徹明敏:とうてつめいびん/はっきりとそして素早く
- 豪邁:ごうまい/気性が強く人より優れていること
そして、この判断が三菱商会の運命を大きく変えることになります。
- 政府から次々に船を貸し与えられ、船の数が日本国郵便蒸汽船会社を上回り、海運のシェアを一気に増やすことができた。
- 三菱社員の航海技術向上に繋がり、のちの海外航路開拓に活かすことができた。
- 台湾出兵における実績を認められ、日本の海運事業を一任されることになった。
もしも日本国郵便蒸汽船会社が台湾出兵の対応を引き受けていたら、今の三菱財閥はなかったかもしれません。
千載一遇のチャンスを見事にものにした岩崎弥太郎の先見の明、判断力、そして運、、、神様をも味方につけているとしか思えません。
その3.死ぬまで本気
政府がバックに付いた共同運輸会社が、三菱商会と同じ航路に船を進出させ、バチバチのバトルを繰り広げます。
岩崎弥太郎は燃えに燃え、徹底した経費削減や給与カット、運賃引き下げなどあらゆる手段で対抗します。
その最中、弥太郎は胃癌に冒されてしまいます。
しかし、医者からは胃癌とは告知されず、ひどい胃痛、吐き気、めまいに苦しみながら懸命に部下へ指示を出します。
部下が弥太郎の療養先である別邸(六義園)に訪れたのは、1日40回にもなるそうです。
そしてついに弥太郎最期のときが訪れます。
その時に弥太郎の口から出た言葉です。
ポイント
我も東洋の男子と生まれ、我が志すところ未だ10中の1、2を成さず、今日の場合に至る。
もはや仕方なし。
短期間で巨万の富を築いた男ですが、達成率は10~20%であったとのことです。
そして、仕方なしという言葉にとてつもない切なさを感じてしまいます。
このとき、まだ52歳です。
きっと無念だったでしょうが、最後の最後まで夢を追い続けた姿は本当にかっこいいですね。
感想
この本を読んで、岩崎弥太郎はもともと僕が思っていた以上に負けず嫌いで独裁的な人だということを知ることができました。
今だとパワハラだなんだと言われても仕方がないようなことをしていたようですが、それでも弥太郎の人間性や考え方に魅力を感じ多くの人がついてきた結果、今でも三菱グループが日本の経済を引っ張っていることに繋がっているのだと思います。
僕は三菱グループで働いているわけでもなく、ただ単に三菱商事の株を握りしめているだけですので、社員の皆様には弥太郎の意志や情熱をこの先ずっと引き継いでいただき、益々の発展に期待するばかりです。
そして僕自身も、声を大にして言えるような大きな夢はないですが、ひそかに胸の中に夢を抱えて生きていきたいと思います。